カツン カランッ 

 

また石の落ちる音がした。しかし、今度は隙間の近くの石ではなかった。

 

俺はやけに音に敏感になっていて、自分でも驚く速さで音のした方を見た。

その上、この時はやけに視野も広く、暗闇に慣れた視界の端に落としたはずのライターを捉えた。

 

俺はとにかく寒さとこの暗闇が恐ろしくて慌ててライターを拾い上げ、すぐにフリントを擦った。

手元を中心に、オレンジの灯りがあたりを照らす。

恐怖を無理矢理抑え込んで、俺は隙間に向けて炎をかざした。

 

あかりに照らされた石の隙間。

当然、積み上げられた石の山の隙間に何かが潜める空間はない。

 

 

「やっぱり…何もいない。そうだよな」

拍子抜けだ。肩の力が抜けた。

漠然とした嫌な予感や感覚が、実際に目で見たことで解消されたという感じた。

 

灯りがあるだけで、こんなに安心するものなのか。

 

「ハハ…はぁ。な、なんだ、気のせいか…そうだよ」 

俺は自分に言い聞かせるようにわざとそう呟いてから、改めて手に持ったままだったでんでん太鼓を積み石のそばに置いた。

もう、ここを離れようと思った。

 

仮にここが墓だとしても今は夜中だし、できることはせいぜい精神誠意手を合わせておいて、墓自体は後日改めて直しに来るしかないだろう。

今度は手を火傷しないようにと注意しながら、俺は手を合わせた。

 

「えーと、なんだ、なんまいだ~なんまいだ~…じゃなくて。かんじー…なんだっけか」

 昔は覚えさせられたような気がするお経も、いまや完全に頭からすっ飛んでいた。

時の流れとは恐ろしい。

 

さっき円覚さんが言っていた、俺はもう人の子以下という言葉が頭をよぎった。

経文の一つも思い出せないくせに『特別』を嫌がって泣く幼い頃の自分の姿を嫌にリアルに思い出した。

 

「 はぁ…お経は俺には無理だわ。でんでん太鼓ってことは、ここで寝てんのは子供だろうな。子守唄なら俺にも歌えるで、それで勘弁してくれや」

 

今の自分は、あの頃の自分が望んだ姿で間違いない。そうだろう?

 

 

 

「…ねーんねーん、ころーりよー、おこーろーりーよーってなぁ」 

蝋燭も線香もこの場にはないけれど、せめてライターの炎で納得してもらえないかと、手前に掲げてみたりした。

 

が、俺はこの時に気づいた。

  

今度は隙間ではない。

ライターに照らされた“積み石の隅の影”に違和感を感じたのだ。

 

影ってあんなに濃いものだったか。

だめだ、一個おかしいと思うと、全部おかしく思えてくる。

 

「いやでも…さっきだって気のせいだったんだ、これだって…」

影はライターの炎のゆらめきに合わせて、ゆらりと揺れる。

 

今度も気のせいだ、そう思って一歩後退りをした時だ。

影の中から、小さな手がこちらに伸ばされたのを俺は間違いなく見てしまった。

 

「ヒッ!!!」

俺は、もうその瞬間に、脱兎の如くその場から逃げ出した。

 

 

 

「なんかいたッなんかいたぞ!今絶対なんかいたッ!」 

 一瞬しか見えなかったが、毛なんか生えていなかった。

指が5本あった。

見間違いであってほしいが、人間の手のようにも見えた。それも子供の。

 

ここがどこかもわかっていなかったが、とにかく俺はそこから離れることだけを考えて手足を無茶苦茶に動かしながら走った。

 

広場になっている場所を抜け、草木が生い茂る森の中に、駆け込んだ。

さっきのどさくさでライターを放り出してきてしまったので、手元を照らすものは今度こそ何もない。 

 

「早いうちから禁煙ッ…はぁッ…しときゃよかったッ…」 

走って走って、塚のあった場所からかなり離れたと思える場所まで俺は逃げた。

先ほどと違い、ここは音がする。

風の音や枝のぶつかる音、革靴が落ちた木の葉を踏む音。

 

「くっそッ ハァッ ハァッ なんだっなんだあれはっ」

切らした息を木にもたれかかって整えていると、そんな山の音に紛れて耳慣れない音が聞こえた気がした。

 

 

 …カラ…コン… カサっズリッ

 

「は…」 

気のせいだと思った。

いや、思いたかった。

 

カラ コン カン カン  すり、ズリ、カサ

 

だがそれは間違いなく聞こえていて、しかも木の葉の上を何かが這う音と共に徐々に近づいてくる。

耳慣れない音だが、聞き覚えがないわけではない。

この音を俺は知っている。

 

 

「…でんでん太鼓」

間違いない。

ついさっき、今しがた、自分で鳴らしたでんでん太鼓の音だ。

 

音は確実に近くまできている。

 

それも… 

カラ、コン、ズリ

 

すぐそばまで。

 

カサ

 

 

俺は下を見た。

暗くて良くは見えないが、黒く薄汚れた布の塊が足元を這いずっていた。

  

ソレからは小さな手が2本生えている。

ひとつは例のでんでん太鼓を持っていて、もう一つは今にも俺のズボンの裾を掴もうとしていた。

 

「なっ」

俺が慌てて足を蹴り上げると、そいつは空気をつん裂く悲鳴のような泣き声を上げた。

「おぎゃああああああああああああああああああああああああああああ」 

 

ソレを蹴ったところが火傷したみたいに一瞬熱くなり、不協和音と相まって眩暈のようなものを感じバランス崩したが、なんとか持ち堪えた。

ここで怯んではまずいと、本能が知らせてくる。

  

「今のっうちだッ」

とにかくそこから離れたくて、俺はまた道なんて呼べる上等なものではない山道を無我夢中で走り続けた。

 

「はぁ、はぁッ」 

長期の喫煙で弱った肺に冬の空気は容赦なかったが、それでも俺は走り続けた。

少しでも足を止めるのが怖い。

 

枝や蔦で、足止めされるのがもどかしい。

さっきの気味の悪い泣き声はもう聞こえてこないが、また追いかけてきているかもしれない。

 

とにかくこの山を離れないといけない。

その一心で俺は足を動かし続けた。

 

 

「だぁっ…はぁ、はぁ、明かり…明かりだっ」 

走り続けた末に、俺はようやく山を出た。

どこをどう走ってきたのかは覚えていないが、そこは龍導院の寺へ続く石段とは真反対に当たる場所だった。

 

 

 

 

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