「ヤバすぎるだろ…厄年だからか?俺誕生日まだなんだけど本気出しすぎなんじゃあねぇの?」

この辺りは普段は静かな住宅街のはずだが、正月だからか灯りのついてる民家がちらほら見られる。

それを見て俺はようやく山を抜けられた安心感からか、猛烈に眠気を感じた。

 

「くそ、とりあえず…家だ」

 

俺は大通りまで出て、タクシーを拾った。

財布の中身はすっからかんだが、こんなことになったのもほとんど円覚さんが呼び出したことが原因なんだから、家に帰るまでのタクシー代くらい請求してもバチは当たらないと思う。

 

「すんません…ここまで、」

意外とあっさり捕まったタクシーの運転手に名刺を渡し、行き先を告げると俺は後部座席に早々に沈み込んだ。

 

 

「いでで…」

「お客さん、大丈夫です?」

「いや、はは。ちょっと道に迷いまして」

タクシーの運転手は土まみれの俺を最初こそ不審な目で見てきたが、そこはプロだからか、深くは聞いてこなかった。

 

「ぐ…ぁねむ…」

今になって体の痛みを自覚し始めたが、それより何より眠くて仕方ない。

頭を振ってなんとか意識を保とうとしたが、そんな努力虚しく瞼が重くてたまらない。

 

なんでこんなに眠いんだ。

先月仕事で徹夜した時だってこんなに人前で眠くはならなかった。

 

「んぁっ」

名古屋の安全運転のタクシーの程よい揺れと暖房の車内の温度が、俺の眠気を加速させる。

いやむしろさっきまでのことがあったから、誰かがいることに安心を感じているのかもしれない。

 

 

 

 

 

「お客さんっ…着きましたよ」

 

寝落ちていた自覚はなかったが、俺は運転手に声をかけられて目を覚ました。

自宅から龍導院の山までは車移動なら大して時間のかからない距離だから、眠っていたといってもほんの数分だろう。

 

「ぁっ…どうも、運賃は…龍導院の住職に円覚って…坊さんがいるんでそこに請求してくれ…」 

もはや眠いを通り越して、意識が朦朧としている。

 

「お客さん?体調悪いの?」

共用駐車場の手前で停車したタクシーからふらつきながら降りると、とても正常とは言い難い様子を心配したらしい運転手から声をかけられた。

 

俺は振り返って返事をするのも億劫で、後ろに手を振った。

それに対する運転手の反応は見られなかったが、背後からは遠ざかる車のエンジン音は聞こえた。

どうやら俺の、大丈夫だという意思は伝わったらしい。

 

 

 

 俺はおぼつかない足取りで見慣れた自分のマンションに向かった。

駐車場からエントランスまでこんなに遠いだなんて思ったのは初めてだ。

 

鉄筋コンクリート11階建マンションの2階にある部屋までは、オートロックの正面玄関さえ抜けてしまえば階段を登ってすぐだ。

すぐなんだが…

 

「ん眠いぃ…」

足が重くて上がらない。

気を抜くと目玉がぐるんと上を向いてそのまま意識を失ってしまいそうだ。

タクシーの車内と違って、今度は冷えた外気が容赦なく体温を奪っていく。

 

「眠いし寒いし…」

真冬の寒さに肩を縮めた。

だからと言ってその寒さが気付けになるだなんてことはなくて、眠気は健在だ。

むしろ徐々に悪化している。

 

「風邪でも引いたか?」

 薄暗いエントランスホールには、天井から照らされる小さな明かりがひとつだけ灯っていた。

 

そこ以外には設置された明かりはほとんどなく、物陰から誰かが飛び出してきても不思議はない。

今の前後不覚な自分なら一瞬でやられてしまいそうだ。

 

 

人気のない薄暗くせまいエントランスを危なっかしい足取りで進みながら、半分意識は夢の中にいるような心地だった。

学生時代の授業中に居眠りをしていた感覚に似ている。

 

眠気に意識をさらわれた瞬間に夢を見て、覚醒した瞬間現実に引き戻される。

歩きながら夢を見るなんてのは初めてかもしれん。 

 

「…う」

厄介なのが、その夢ってやつも気分のいい夢ではなく、最悪の夢だってところだ。

 

潜在意識に刷り込まれたものが、夢に顕著に反映されている。

この時の俺の場合は、さっきもの影から誰かが出てきそうだと思った事、それから山での不気味な経験。

この二つが最悪の形で、文字どおり夢現な俺の頭を支配していた。

 

「…」

視線、黒い布の塊、でんでん太鼓の音、裸足の足音が聞こえる気がする。

それらが俺に近寄ってきている気配を感じ、恐怖でビビって心臓がバクバクする。

だが次の瞬間、ふっと意識が浮上すると自分は見慣れたマンションの廊下に一人で立っている。

 

 俺の認識する世界が裏と表を行き来している。

夢の中での緊張や緊迫感を現実に戻る一瞬の間も引きずって、動悸が止まらない。

 

「…らしくねぇっ…!」

あとは階段を数段登って部屋に入るだけだというのに、体が思うように動かないことがもどかしい。

今夜はやけに感情が乱れる。

 

俺は目で見たものしか信じないし、平穏無事平々凡々それでいて順風満帆、ごく普通の名古屋人。

それが俺だ。

 

「俺らしくねぇっ!」 

弱気な自分に腹が立って、俺は自分自身をビンタした。 

「フンっ!」 

痛みの刺激で頭が一瞬冴えた隙に、俺は短い階段を駆け上がった。

体を動かしていると血液も巡る。

 

鍵を鍵穴にねじ込み、扉を開けた隙間に身体を滑り込ませ、俺はその場に崩れ落ちた。

もはや眠気とも呼べないくらい強引に、俺の意識は奪われようとしている。

 

「だぁっ!っ着いた…電気…」

 最後の力を振り絞り、力が入らず平衡感覚さえ失いつつある体を壁に預けながら俺は、すぐに部屋の中にある電気という電気をつけて回った。

 

「これでどうだ? へへ…でるもんなら出てみろよっ…」

 薄暗い場所に一人でいたから妙な夢を見るんだと思った。

よくわからないものを怖がるなんて「俺らしく」ない。

 

幽霊、妖怪、魑魅魍魎の類なんてこの世には存在しない。

いない。見えないと思うのが普通の人間なのだ。

 

それがもし、見えてしまったのだとしたらそれはもう

「普通」ではなくなってしまう。

 

 

 

 俺は、最後にテレビをつけてリモコンを放り投げると、そのままベッドに倒れ込んだ。

煌々と明かりのついた部屋の中、俺の意識は構わず落ちてゆく。

 

幽霊や怖いものなど、この明るさと騒がしさの中現れるはずなんてないんだ、と自分にいい聞かせた。 

 

「…限界…だ」

 別に柔らかくもモノが良いわけでもないマットレスだが、この時ばかりは体がそのまま溶け込んでいってしまうのではないかと思うくらいの安心感を与えてくれた。

 

「やっと寝れる」

 苦しいほどの眠気にもう抗う必要がない。

それから、もうこの訳のわからない状況から一時的にでも逃れられるという二つの安堵が俺の意識を完全に奪っていく。

 目を閉じて、瞼の裏まで届く部屋の明るさが俺の不安や怒りを落ち着かせてくれる。

 

何かまだ考えなければならないことがあったような気がしたが、そこから先を思案する能力はもう俺の脳みそには残ってなかった。

 

なんだったか

俺は何か見落としている気がする。

 

 

 俺の意識が途切れる直前、何を言っているかもはや理解できないテレビの音声に紛れて

 

カラ コン

 

という音が聞こえた気がした。

 

 

 

 

 

 

 

第一話 「子鬼塚の怪」   了

 

 

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