円覚さんとの約束通り、俺は大晦日の夜、気乗りしない足を引きずって寺を訪れていた。
冗談抜きに、あれから新規の仕事も臨時収入もない。
情けない話、もやしとキャベツ、それから来客用に常備しているしるこ味ビスケットで飢えを凌いできた。
今日に至っては、寺で何かにありつけることに期待して昨日の夜から何も食べていない。
何か食えるならそれで万々歳だ。
念のため言っておくが、別に俺は貧乏なわけじゃあない。
たまたま今は手元に自由にできる金がないだけで、今請け負ってる分の仕事がうまくいけばひとまずはなんとかなる、はずだ。多分。
「…賽銭くらいは…あるよな?」
財布を覗くと、幾らかのチャリ銭はあったので安堵した。
流石に大晦日だけあって、境内へ続く階段は活気があり、人でごった返している。
辛気臭いのは俺だけのように思えた。
「すげぇ人だな。先週までメリークリスマスつって盛り上がっとったのなぁ。余裕のあるこった」
賽銭ともう一つ。
俺にとって安心できたことがある。
俺の記憶の中よりも、目の前の石段はずっと小さかった。
それに人が多いせいもあるだろうが、昔感じた不気味さはない。
これだけで随分と肩の力が抜けたように感じた。
「名千」
周囲の家族連れやカップルの会話の合間を縫って、自分を呼ぶ声が聞こえた。
振り返ると、鼻の頭を赤くした円覚さんが立っていた。
「久しぶりだな」
相変わらずの強面だが、俺の目を見て目尻を下げると性格が滲み出るように穏やかな表情になる。
「久しぶり。円覚さん」
そう返事を返すと円覚さんは少し照れたみたいに額の傷を撫でた。
湧き上がってくる懐かしい記憶の断片の中にそういえばそんな癖もあったことを、俺は思い出した。
「随分と立派になって…」
記憶の中と変わらない姿。
けれど、灯籠の灯りしかないこの場でもはっきりとわかるほど刻まれた皺が、月日の流れを思い知らせた。
「あんたこそ随分貫禄のある坊さんになったじゃあねぇか」
「何、私なんてまだまだだて。ほれ、ついておいで」
お互いに軽口を叩いてから、円覚さんは階段上にある本堂へ視線を投げた。
当たりを見回すと、年越しの参拝を待つ親子連れやカップルが寒そうに手を擦り合わせたり、身を寄せあったりしている。
「…いや、周りはみんな並んでんのに俺だけ悪いだろ」
そう俺が断ると、円覚さんは一度驚いたような顔をしてから、また目尻を下げた。
「見た目は少し変わったが、お前のそういうところは変わらんなぁ」
昔に思いを馳せるように言われ、俺は少しだけむず痒く感じた。
「…ただな、表には雲行がおるでなぁ。お前たちは顔を会わせんほうがいいだろう。あの子はお前のことになるとその、少々…なんというか、やかましいでな」
「そういやネットでちょっとした話題になっとっただろ、あいつ。美しすぎる僧侶って。チラッと写真を見たが…」
最後に年の離れた従兄弟の姿を見たのは、奴が小学校に上がる頃だった。
その頃から人形のように綺麗な顔をしていたし、肌は陶器のようだった。
写真を見た限り、今でもその美貌は健在だ。
むしろ成長した分だけ美しさが増している気がする。
さすがは元モデルの息子と言ったところか。
「同じ男の俺がいうのもなんだが、あいつおばさんに似てまた美人になっとったな。黙っとりゃあ可愛げがあるだろうに」
「今はなんでもネットだでなぁ、本人は電子機器はからっきしだで知らんどるがな。おかげでこんな山の中でも参拝客が増えたわ」